娘。しょうせつについて

トマキさんのブログを読んでいると、とても切なくなります。2002年とか2005年とかそれくらいの娘。小説を読んでるときみたいな。そういう気持ちって、それは酷く心地の良い切なさでちっともこれっぽっちも嫌な感情ではないんだけど、切なすぎて胸が苦しくなりそうだから責任とってほしいくらい。
NIMP2にきれいに貼られたトマキさんと皿さんの対談やナナチャの懐かしチャットなんかを読んでいると、とくに対談の方なんかは、娘。小説という深く気持ちの悪い世界に10年も居たという気持ちの悪い二人の言葉がたくさん並べられていてもう吐きそうだ。私が2007年から何かに憑かれたように魅了されているこの世界は本当に、つまらない妄想の一言ではとても片付けられないものがあって、こんな風に10年も共に生き支えてくれた人がいるんだなあと改めて感動します。そして同時にまたひとり大切な人が去っていってしまうという喪失感。こうして娘。小説というジャンルは現実の彼女達のようにどんどん衰退していってしまうのかもしれない。それでも私は忘れないしみんな忘れることは出来ないんだろうなあとか思う。だってあんなに胸を打つんだもん。ガン、てさあ。そんなに心に響くものなんてなかなか無いよ。少なくとも私にとっては。
最近では飼育閉鎖騒動なんてのもあったけれど、存続が決まって本当に良かった。ただ、飼育が終わるわけないって信じてたからか顎さんが続けますと言ってもやっぱりなニヤニヤ、くらいの反応だった私は。それって顎さんにめちゃくちゃ失礼かもしれないけど、でもだって終わるわけないもん飼育が。誰も終わらせられないよ。もしあそこで本当に顎さんが管理人やめるわつっても、それでも終わらない、飼育は。
すげえなと思う本当に。ハロプロ同人というジャンルにおいては飼育の存在すら知らずに娘。小説を書いている人もいるらしいけど、やっぱり娘。小説といえば飼育だ。それは羊や狩狩も含むね。あ、いやべつに飼育知らない人が書いてるもんが娘。小説じゃないなんて意味はこれっぽっちも無いです。
娘。小説が好きだ。本当に。それは正直現実の彼女達に対する気持ちより大きい。だって私の彼女達への気持ちは、娘。小説によって培われた部分がすごく大きいんです。狼もそうだけど、きっと娘。小説はそれ以上に。


つまりなにが言いたいかっていうと超久々に企画やりたくなってきたんですけど!


でも板借りて支配人やるほど暇無いし自信無いっていう(^v^)